最高裁判所第二小法廷 平成6年(あ)403号 決定 1997年7月03日
本籍
栃木県足利市福居町二一四五番地
住居
東京都世田谷区松原三丁目三九番一六-二〇八号 堀越方
無職(元衆議院議員)
稲村利幸
昭和一〇年一〇月二九日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成六年三月四日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人高橋正八、同小松正富及び同横井治夫の上告趣意は、単なる法令違反、量刑事情に関する事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない(なお、被告人に対し懲役刑と罰金刑を併科した原判決の量刑判断は相当である。)。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 大西勝也 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博)
平成六年(あ)第四〇三号
上告趣意書
所得税法違反 稲村利幸
右被告人に対する頭書被告事件の上告趣意は左記のとおりである。
平成六年五月三〇日
主任弁護人 高橋正八
弁護人 小松正富
同 横井治夫
最高裁判所第二小法廷 御中
記
原判決の刑の量定は甚しく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので、刑事訴訟法第四一一条第二号により原判決は職権をもって破棄されるべきものと思料する。
すなわち、被告人を懲役三年及び罰金三億円に処した原判決は、右の罰金刑を併科したことと懲役刑の執行を猶予しなかった点において、その量刑は著しく不当である。以下に順次、その理由を明らかにする。
第一、本件の場合、罰金刑併科の言渡しをした原判決は脱税犯に対する罰金刑併科規定の解釈適用を誤ったものというほかはない。
原判決は、罰金刑併科の言渡しをしなかった第一審判決に対する検察官の控訴を容れて罰金刑併科の言渡しをしている。しかし、これは、以下に述べるとおり、脱税犯に対する罰金刑併科規定の趣旨を正しく理解しないで、その解釈適用を誤ったものである。
罰金刑併科制度の趣旨は「犯罪が経済的に引き合わないことを感銘させる」ことにあるのは原判決が判示している(21丁)とおりである。本件は所得税の脱税事犯である。それに対する罰金刑併科制度の趣旨を検討する場合、脱税者に対する追徴課税と重加算税等の制裁税の賦課制度を度外視することはできない。地方税を加えたそれらの課税による納付すべき金額は脱税によって秘匿した所得を超える場合すらあり得る。その結果、違反者は脱税が経済的に引き合わないことを痛切に思い知らされることになる。そうすると、脱税犯の場合は、右に明らかにした課税によって、既に、「脱税が経済的に引き合わないことを痛感させられている」ので、原則として、罰金刑併科の必要はないことになる。例外として、追徴、制裁課税によっても、なお、「脱税が経済的に引き合わないことを感銘させる」に至っていないと認められる場合にのみ罰金刑を併科すべきであると理解するのが相当である。
罰金刑が選択的に懲役刑と併科されるものとして脱税犯のほかに営利の目的による各種薬物事犯があることは原判決判示(20丁裏、21丁)のとおりである。その典型例として営利目的の覚せい剤事犯に対する罰金刑併科規定を挙げることができる。このような覚せい剤事犯は、暴力団などの密売組織によって敢行され、通常、組織の末端に位置する実行々為者が摘発されるのみで組織の全容が解明されることはない。そのため、莫大な密売利益は組織の収入としてヤミの中に消え去り、これが明るみに出ることはないのが実情である。このことは我々の経験からしても明らかである。このように、覚せい剤事犯の場合、犯罪によって得た利益は捕捉されないのが通常である。そこで、このような場合は、不当な利益を得たか否かを問わず、一率に、罰金刑を併科して犯罪が経済的に引き合わないことを強く感銘させる必要があることはいうまでもない。
一方、脱税犯の場合は、先に明らかにしたとおり、追徴、制裁課税によって、既に、脱税による利得を剥奪されて、脱税が経済的に引き合わないことを痛感させられている。その脱税犯に対する罰金刑併科について、犯罪による利得を捕捉されることがなく背景事情を全く異にしている覚せい剤事犯のケースと同一に取り扱うことは明らかに合理的根拠を欠く誤りであることを多言するまでもない。
それでは、脱税犯に対し罰金刑を併科すべき場合の判断の基準は、どこに求めるべきであろうか。思うに、科刑を懲役刑のみとするか、罰金刑のみとするか、あるいは懲役の罰金の併科刑にするかは、具体的な当該事案における諸般の情状を考慮したうえでの全体的総合判断によるべきものであって、そのいずれを原則とし、いずれを例外とする、というような抽象的基準があるわけではない。第一審判決が「懲役刑の刑期と併せ考慮して罰金刑を科さない」(同判決書19丁)としているのは、右に述べたような基本的立場に立ったうえで、本件における具体的事情のもとでは懲役刑のみによる処断で足りるとの結論に達したためであって、まことに制度の趣旨に対する正しい理論に基づいた適切、妥当な判定であるといわなければならない。そして、本件においては、追徴、制裁課税処分のほかに、さらに罰金刑を併科することが「脱税者の経済生活を危険に陥れるおそれがあるか否か」ということが重要な具体的事情の一つとして検討、考慮されているのである。その「おそれ」があると認められる場合は、追徴、制裁課税によって、既に、脱税が経済的に引き合わないことを痛感している脱税者に対し、さらに、罰金刑を併科することは相当でない。脱税者といえども、人間として普通の生活をする権利を有している。追徴、制裁課税によって、既に、全財産を剥奪されることになる者に対し、そのうえ、さらに、罰金刑を併科することは、個人の経済生活を危険に陥れるもので、到底、具体的妥当性があるとはいえないからである。
このような判断の基準は、現行租税罰則の制定趣旨からしても、その正当性が裏付けられているということができるのである。すなわち、昭和二一年以降の税制改革期に租税罰則が順次改正され制裁税(追徴税、重加算税)と処罰体系が分化されて再構築されるに至って脱税犯は自然犯化への転換を遂げたのであるが、このような租税罰則の改正理由は次のように説明されている。「従来は、脱税犯の財政犯的な性格にかんがみ、罰金による国庫の損害回復ということも罰金につき法定刑を定める根拠となっていたことは否定できないが、戦後の改正により民事詐偽罰(重加算税)が設けられ、その課税の要件は脱税犯の構成要件と殆ど共通し、その重加算税の額は増差額に対応することとなった。従ってもはや刑事罰において脱税額に対応する罰金刑を定める必要がなくなった。もっとも多額の脱税額の生ずる場合には、情状により罰金額をスライドする処罰がとられたが、その場合においても罰金の額は、脱税額以下とされ、脱税額の何倍以下とされることはない。これは重加算税の新設と従来の刑事罰の適用の実例にかんがみ、多額の罰金刑を科すことは、企業を破壊し、個人の経済生活を危険に陥れるなどの弊害が考えられるからである。」(津田実「改正税法罰則解説(一)」財政経済弘報一九四・一)。
このような租税罰則の改正趣旨に照らすと、「租税逋脱犯に対しては、国庫の側からみれば租税債権侵害の程度、納税者の側からみれば納税義務違反の程度、換言すれば、逋脱金額の大小に比例した量刑がなされることの重要性を無視することはできない。殊にこれに対する罰金刑については一層その要請が強いものといえるのである」などと判示している原判決(22丁)は、租税罰則の趣旨を正しく理解しないで、その解釈適用を誤っていることは明らかである。脱税犯の場合は、脱税額に対応する重加算税が課税されるので刑事罰において脱税額に比例した罰金刑を科する必要はなくなっているからである。
ところで、原判決は「犯人が無資力であることの故をもって罰金の科刑を免れ得るものではないことは、労役場留置の処分が定められていることからも明らかである」と判示している(21丁裏)。しかし、これは、脱税犯についての指摘としては誤りであるというほかはない。罰金刑は一定の金額の剥奪を内容とする財産刑である。脱税犯の場合、追徴、制裁課税によって全財産を失っている場合がある。そのような犯人に対し、さらに、罰金刑を科することは無意味な科刑といわざるを得ない。無資力者には剥奪すべき財産がない。そのような者に対し一定金額の剥奪を内容とする罰金刑を科すことは全く無意味なことだからである。
法定刑として罰金刑のみが定められている場合、犯人が無資力であることの故をもって罰金の科刑を免れ得るものでないことは当然である。その場合は罰金刑しかないのであるから、犯人の資力の有無にかゝわらず罰金刑を科するほかはないのであり、罰金を納付できないときは換刑処分として労役場に留置することになるのである。しかし、罰金刑が選択的に懲役刑と併科されている脱税犯の場合は同じように考えることは妥当でない。その場合は、懲役刑のみで罰金刑を併科しなくてもよいからである。むしろ、この場合は、右に指摘した無意味な罰金刑の併科はすべきではないといってもよいであろう。
さらに、この場合の罰金刑併科は、単に無意味であるばかりではなく、先に指摘した個人の経済生活を危険に陥れるおそれがあるほかに、自由刑を加重する結果を招くことも看過されてはならない。罰金を納付できない場合の換刑処分である労役場留置の本質は自由刑とかわらない。資力がなく換刑処分が予想される場合に罰金刑を併科することは、事実上、懲役刑を加重することになる。原判決が言い渡した罰金三億円を納付できないときは一日当り六〇万円に換算した期間、労役場に留置されることになる。その期間は五〇〇日、つまり一年と四ケ月余りに相当する。その結果、被告人は、三年間に事実上、一年四月余り加重された懲役刑を言い渡されたことになる。そのような結果は、脱税犯に対する罰金刑併科の趣旨に反するものであって、甚しく不当であり、著しく正義に反しているといわざるを得ない。
第二、原判決は、以下に順次、指摘するとおり、本件の特異な情状に関する事実を誤認するなどして甚しく不当な刑の量定をしているので著しく正義に反している。
一、先ず、原判決は、以下に述べるとおり、政治資金との関連でみた本件の特殊性を誤認するなどしている。
本件は国会議員による株式売買益の脱税事犯という点で特殊性がある。そして、その根底に、金のかゝり過ぎる政治の実体がある。被告人の株取引は政治資金作りのためであった。政治資金の調達は政党自体や政党内部の各派閥によって行なわれるが、政治家個人によってもなされる。政治家が派閥内において、また党内において地歩を固め躍進し閣僚などの地位を得るまでには、それにふさわしい資質、能力、適格性、識見などがなければならないのであろうが、それ以外に、大なり小なりに政治資金の収集能力が必要とされる。集金力、資金力のない者が党内や派閥内や、より下部の組織内で実力者としての地位を確立することは困難である。政治家として自分の政治的抱負を実現しようとする者が、派閥内の序列にこだわり、支持者や同志の頭数をふやすことに努め、当選にすべてをかけ、上に対する上納金や下に対する援助金等を含めて政治資金作りに懸命になるのもやむをえない面がある。このように多くの政治家が資金集めに狂奔する政治における構造的ゆがみは、永年にわたって何時しか形造られて来たものであって、今、正に政治改革の当面の目標として是正されなければならないところであるが、現実に、このような政治の情況の中に置かれた者が政治家として生き延び自分の本来の政治的理想に向かって邁進するためには、どうしても政治資金集めに狂奔せざるをえないといっても過言ではないだろう。そのような政治の渦中にあった被告人が政界の惰性に流された面があることを看過してはならない。換言するならば、被告人が本件に至った諸悪の根源は政界を覆う金銭感覚の麻痺と実際に金を必要とする政治の現状にあったということができるのである。右に述べたような情況を背景にもつ本件事案の特殊性は被告人のために有利な情状として考慮されるべきものと思料する。この点を犯行の動機などについて指摘すると次のとおりである。
1、被告人が株取引をして取引益を蓄積するなどした動機は政治資金を作るためであった。
被告人は、衆議院の栃木県第二区から昭和三八年一〇月に初めて立候補し、昭和四四年一二月、三回目で初当選して以来、平成二年二月まで八期、連続当選していたのであるが、初当選するまでの政治資金は実家の土地を処分するなどして調達していたところ、それも限界に達したので、初当選後は、もはや、実家の資産をあてにはできなくなった。そのため、被告人は、その後、親族、友人、知人に頼み込んで政治資金を集めていたのであるが、大口の後援者もなく、また、企業に無理に頼み込んで政治資金を集めると「ヒモ付き」になる負担を感じることなどから、それができない性格もあって、政治資金集めには多大の苦労を重ねていた。被告人は、その苦しい体験をふまえ、自分の努力で「ヒモ付き」でない政治資金を入手するために株取引をしていたのであり、その取引益から必要な政治資金を支出した残りは株の再投資に充てるなどして資金をプールしていたのである(被告人の第一審及び原審公判廷における供述((以下、本人供述と略称))、検察官請求証拠番号乙2、3((検乙2、3と略称、以下同じ。))等)。
政治資金の中で多くの割合を占めているのは後援会の維持拡大など選挙での「票集め」の資金である。そのような選挙のための資金は出所のクリーンなものでなければならないことは原判決の指摘(6丁)を待つまでもない。しかし、それは、あくまでも理想であって、実際の選挙の実情は「きれいごと」では、とても、すまないのが現実である。とりわけ、被告人が連続当選していた衆議院栃木県第二区は、定員五名のいわゆる中選挙区で自民党公認及び保守系無所属の複数の立候補者があるので候補者同士の激しい「せり合い」から、どうしても多額の資金を投入することは避けられない。その資金は出所のクリーンものであることが望ましい。しかし、被告人の場合、出所がクリーンな資金を集めるには自ら限度があり、それだけでは、とても足りないのが現実であった。その不足分を何とかして集めなければならないが、「ヒモ付き」の企業献金などを集めることができない被告人は資金集めに苦労を重ねた挙句、だれにも迷惑をかけずに自分の努力で政治資金を作るため株取引を始めたのであり、その取引益を将来の政治資金として蓄積するなどしていたのである。本件の背景には、このような切実な政治資金集めの実情があったことに先ず留意されなければならない。
2、被告人が蓄積した株取引益は、将来、政治資金に充てられた段階で必要経費として課税対象外となるべきものであった。
政治家の場合、選挙での「票集め」の費用など政治活動のための費用は必要経費として課税対象外とされるのが課税実務上の取扱いであった。この点は、原審における証人堀越洋七(被告人の義弟で元秘書)の証言及び本人供述によって明らかであり、他に疑いをさしはさむに足る証拠はない。さらに、この点は、元熊本国税局長で税理士である劍持昭司及び被告人の検察官に対する各供述記載(検甲113、乙10等)によっても明らかにされている。劍持税理士は、被告人らから相談を受けた際、「政治活動資金として使った分は費用として認められる」などと説明した旨を供述している。また、被告人は、税務相談に赴いた際、東京国税局の担当官から「政治家個人の場合、政治活動費に使ってしまったら課税の問題は生じない」旨の説明を受けたと供述している。このように、政治活動費として使われたものは必要経費として課税対象外としているのが課税実務上の取扱いであることは明らかである。つまり、政治家の場合、収入を得るために直接要した費用のほかに、政治活動全体を業務としてとらえ、その業務について生じた費用である政治活動費を必要経費として認容しているのが課税実務上の取扱いであることは疑いを入れる余地はない。その結果、被告人が蓄積した株取引益を将来、政治活動費に支出すると、その支出額は、その年分の必要経費として課税対象外とされることはいうまでもない。この意味において、被告人は、将来、必要経費として課税対象外となるべき株取引益を蓄積していたのである。
そのような取扱いは、政治家の場合、政治活動全体を業務としてとらえていることによるものであって、政治活動費を収入を得るために直接要した費用に限定して考えているのではない。したがって、被告人の場合、政治活動費は株取引益に対応する必要経費でないことは当然である。また、課税段階とは異なり、起訴されて公判に付された場合、政治活動費について必要経費の認定を受けるためには厳格な証明を必要とする。その証明をする見込みがないときは必要経費の主張を断念するほかはない。いわんや、現実に支出されていない将来の政治活動費の見込額について必要経費の主張をすることができないことはいうまでもない。そうすると、被告人の場合、本件株取引益の全額について脱税の刑責は免れ得ない。そこで、弁護人は、本件脱税の刑責を全面的に認めたうえで、被告人が将来、政治活動費に支出した場合、必要経費となるべき株取引益を蓄積していたことを本件の情状の一つとして酌量されるべき旨を極力、主張したのである。
これに対し、原判決は「『将来、政治活動の費用にあてる金額』などが当該年分の必要経費に含まれる余地のないことは明らかである」などとして弁護人の主張を排斥している(2丁裏~4丁裏)。しかし、これは、弁護人の主張を「とり違えた」明らかな誤りである。右に指摘したとおり、弁護人は、株取引益に対応する必要経費としてではなく、政治家の業務である政治活動のための費用として課税実務上、必要経費として取り扱われていることを前提とした主張をしていたのである。それを「株取引益に対応する必要経費」を前提として排斥することは明らかに「前提をとり違えた」誤りだからである。
原判決は、本件株式売買益が所得税法三五条一項に定める雑所得に該当すること、その金額の計算上必要経費に算入すべき同法三七条一項所定の金額はすべて被告人の雑所得の計算上控除されていること、政治家が当選を得るための票集めの費用は株式取引について生じた費用に当たらないこと、所得の計算においては、収入及び費用とも当該年分を基準とするのが原則であるから、将来政治活動の費用に当てる予定の金額が当該年分の必要経費に含まれる余地がないことなど、税法上の制度・規定の内容をるる解説している。その言うところは、それ自体としては当然の事柄であって、むしろ言わずもがなのことである。
本件においては、弁護人は犯罪の成否を争っているわけではない。また脱税額に異論があるわけでもない。弁護人の主張の主眼は、政治活動のための政治資金が当該年分の必要経費として雑所得の計算上控除されるべきであるなどと言っているのではなく、そもそも政治活動のための政治資金は課税実務の運用の上では課税の対象にされていないという一般的な取扱いの実情を述べ、この実情を本件犯情の大小を判断するにあたって無視することは許されない旨を論じたのである。しかるに原判決は、「関係証拠上、果たしてそのような運用が現実に行われているかを確定する資料に乏しい」とか、「いわゆる政治資金として支出された金額について、その必要経費性を否認し、調査・査察に踏み切るだけの資料が得られない場合の多いことも察するに難くない」(3丁裏、4丁)と言って、弁論の主眼点に正面から取り組むことを避け、また前述したように「株式売買益における必要経費の範囲」という条文の解釈・説明に問題を殊更に限局し、矮小化してしまった。しかし従来から多年にわたり一般に、政治活動のための政治資金については、政治家個人からの納税申告も行われず、税務当局も課税対象外という取扱いをしてきたのであった、このことはむしろ公知の事実と言ってよい。原判決は、証拠や資料のないことや乏しいことを理由にして、課税実務運用の実際の状況を度外視ないしは否定してはばからない。しかし運用の実態・実情はいわば「生きた法」とも言うべきもので、その実際の姿・内容は裁判における価値判断の尺度として当然考慮に入れなければならない事柄である、と言わなければならない。
政治資金非課税の取扱いがなぜ実務の常態になったのかについては、原審における弁論でも触れたように、法制、関係法規の不備、政治資金規制のあいまいさ等のため、課税対象の範囲が明確性を欠き政治資金に対する所得税の課税が極めて不徹底にならざるを得なかったことが考えられる。
このような現状は、公平・厳格なるべき課税の実現のための将来における立法を含めて政治改革の重要な検討項目であろうが、そのことは今しばらく措くとして、献金、寄付、株取引その他の方法により収集・蓄積・保有された政治資金に対する課税の実態が右に述べたようなものであって、それが永年にわたり当然のことのようにして放置されてきた政治環境のなかで犯された本件のような逋脱犯の情状としては、被告人または政界に広く、深くび漫した政治資金無規制の風潮に流され、つい安易な気持ちから将来の政治活動に備えて株売買益を政治資金として温存する仕儀となったわけであり、犯意の希薄性という点では有利に考慮すべきであると思料する。
なお、原判決は、政治資金を「政策研究調査立案のための資金」と「票獲得を目的とした資金」とに区別し、前者は政治家本来の活動のためのものであり、後者は政治活動そのものからすれば予備的・間接的な関連を有するに過ぎないから、仮に政治資金確保の目的が量刑上何らかの斟酌に値するものとしても、いわゆる政治資金なるものの大半を占める後者については、これを斟酌すべき度合いは低いものといわざるを得ない旨判示する(6丁、同丁裏)。しかし、両者ともに政治資金であることに変わりはないわけであるから、納税義務の観点からすれば、両者を判示のように区別するいわれはないのみならず、本件において被告人が将来、保有する政治資金を両者のうちのいずれの用途にあてるかは未定なのであるから、原判決が勝手に資金の大半を後者の用途にあてるという前提に立って情状を判断することは相当でない、と言わなければならない。
原判決は、このような明らかな誤りに基づく刑の量定をしている。そのような刑の量定は甚しく不当であることは、あえて多言するまでもない。
3、被告人は、政治資金を作るために株取引を行い、その取引益は政治資金としてプールし、最終的に個人的用途に費消したことはない。
被告人は、折柄の財テクブームに乗じ、また、仕手筋から入手した情報を利用するなどして、稼げるときに、できるだけ多くの資金を蓄積するため、取引益の大部分を株の再投資にあてゝいた。残りの取引益は、当面、必要な政治資金に充当し、一部は関連会社の費用に立替支出していた。その場合は、貸付金として処理し、回収した資金はプールしている政治資金に戻し、未回収分も回収時に同様に処理することにしていた。こうして、被告人は、株取引益を政治資金としてプールし、個人的用途に使ってしまったことは一切なかったのである。
もっとも、本件における株取引による利益の保有の形式からみると、売買益は政治団体名義ではなく、個人名義で管理、運用されており、将来その資金が果して確実に政治資金として使われるのか、個人資産として被告人の手に残るのかについては定かでなく、前者であるという保証はない。しかし、刑事手続上その責任の有無、軽重を問い刑を量定する場合には、政治資金となるべき金員が政治団体名義で行った株取引によって得られた金か、個人名義で行った株取引によって得られた金かという形式的な分け方によって事を決すべきではなく、取引がどちらの名義で行われたにせよ、株売買益の取得、保有が真に政治資金蓄積の意思が行われたのか、個人資産形成の意思で行われたのかを実質的、実体的に検討し、そのいずれであったかを証拠に基づいて判定すべきものであろう。この視点に立って見れば本件の場合、一〇〇パーセント個人資産形成のための蓄財であったと断定することは、それを証明する十分な証拠もなく、また、そのような認定は著しく経験則に反することにもなる。本人供述などにみられるように、被告人の真意として、少なくとも、そのほとんどは政治資金の蓄積という気持ち、意図があったことが認められるのである。被告人は政治に志を立てゝから着実に実績を積み、五〇才台前半にして、ようやく国務大臣の地位を獲得し、将来さらに自分の政治スケジュールに従って年来の抱負を実現すべく希望に燃えていた。それに備えて必要な政治資金を作っておくことを考えたことは、第一審ならびに原審における被告人の供述からも容易に窺い知ることができるところである。政治は正に被告人の命であり生き甲斐であった。私財の形成よりも政治家としての将来の活動、飛躍に備えての政治資金の準備ということが先ず第一に念頭にあったであろうことは疑う余地がない。
政治家によって蓄積された資金が個人資産の増殖ではなく、将来の政治活動のための政治資金の保有であることを明確にするためには、その金を政治団体名義で保有し、その名義で管理、運用させ、その収支を公開し、授受を規正する等の方法が望ましいであろう。確かに政治資金規正法はそのようなやり方を標榜している。そうすることによって形の上では一見政治資金の透明度が保証されたかに見えるかもしれない。しかし、そのようにしたからといって、問題が全部片付いたわけではないのである。例えば、政治家が名義上政治資金として金員を政治団体に入金、保有させても、将来、その人が政界から引退したり、政治団体を解散したり、あるいはまた本人が死亡したりした時、政治団体に残った金の帰属はどうなるのかということを一例として考えてみても、その金はどこにも行き所はないわけで、結局はその政治家か、その遺産相続人の所有ということになってしまうほかはないのである。そうであれば、初めから個人名義で金を保有していた場合と何ら異なるところはないわけである。とすれば、形だけ、名義だけ政治団体名を使って政治資金を他の個人資産と区別して保有させることに何ほどの意味があるのであろうか。従来の、また現行の政治資金規制のやり方では、政治団体名義の保有であろうと、個人名義の保有であろうと、いずれにせよ終局的にはその金を私財にしてしまうことが可能であることに変わりはないのである。つまり、政治資金を政治団体名義で保有させれば、それによって私財化が防げるというわけのものでもなく、また逆に、政治資金を個人名義で保有すれば、それは私財の蓄積以外の何ものでもないと一義的に断定することも、現行の法制の下ではできない筋合いなのである。政治資金規正法が“ざる法”と呼ばれるゆえんである。また同法自体、「政治資金を政治団体に取り扱わせること」を基本理念として掲げておきながら、政治資金のうち「選挙運動に関するもの」はこれを政治団体の取扱いの枠外に置いているのである(同法二条三項参照)。
このような法制の下では金員を政治資金として保有したのか、個人資産として蓄積したのかは分明を欠き、曖昧、混沌とした状態にならざるをえず、政治資金と私財が混在したまゝ保有されることになってしまうのを避け得ないのである。そして厳格に政治資金と私財を区別して使い分けることは個々の政治家個人の良心に委ねられ、それについて法的規制を及ぼすことはいまだかって行なわれたことはないのである。
このような法律、制度の不備、曖昧さのため、政治資金については公私混交ともいうべき政治的風土がいつしか醸成され、多くの政治家がそれに馴らされ、良心が麻痺し、ルーズな資金処理をして来たのが政界の実情であった。
良心の有無、強弱は、本件の場合、政治資金とする認識の有無、強弱、ひいては脱税の犯意の有無、濃淡に関連してくるわけであるが、被告人が株取引によって得た利益を個人名義で保有していたにせよ、被告人の政治一筋、選挙一筋の生きざまと執念に照らせば、「政治家としての将来の躍進に備えて、政治活動のための資金と株売買益を保有していた」とする本人の供述に、うそ、偽りがあろうとは思われない。この点、情状として十分に斟酌されるべきである。
この点について、原判決は、被告人が本件株取引と取引益の管理運用のすべてを自ら行っていたことなどを理由に「本件株取引益が政治資金確保の目的で蓄積されたものであるかについても疑義なしとしない」旨を判示している(6丁~7丁)。しかし、この場合、取引形態や取引益の管理運用の形式だけで判断することが誤りであることは多言を要しない。そして、本件の場合、被告人が株取引益を最終的に個人的用途に費消したことはない。この事実は、被告人が株取引益を個人的用途に充てるためではなく、専ら政治資金として蓄積していたことを裏付ける動かし難い証拠であるということができるであろう。このことからしても、原判決の判示が誤りであることは明らかである。そのような誤った判断に基づく本件の刑の量定は著しく不当であるというべきである。
二、原判決は、次に指摘するとおり、被告人の犯意の程度、内容について誤った評価をしている。
被告人は、当初、一部は政治団体の名義で株取引をしていたが、後に、取引名義を多数の個人に分散する方式に切りかえた。その最大の理由は、政治団体が大量の株取引をしていることが判明すると有権者の非難をあびて選挙に悪影響を及ぼすので、それを避けるためであった。そして、付随的には、収支報告が義務づけられる政治団体の取引にしたのでは領収書のとれない支出に充当できなくなるおそれがあったからである(本人供述)。被告人の選挙区であった衆議院栃木県第二区は定員五名の中選挙区で自民党公認と保守系無所属の複数の立候補者があるので常に候補者同士の激しい「せり合い」がくりひろげられていた。そのような状況下で被告人の政治団体が大規模な株取引をしていることが有権者にわかると激しい非難をあびて致命的な打撃を受けることは必定である。また、選挙での「票集め」のためには領収書のとれない支出がどうしても必要になる(原審における堀越秘書の証言、本件供述)。収支報告が義務づけられる政治団体の株取引にすると、そのような支出にあてる資金を入手できなくなる。このような問題に対処するため、被告人は、政治団体ではなく、多数の個人名義を利用して株取引をしたのである。
このように、被告人が多数の個人名義を利用して株取引をしたのは、常に選挙を念頭におかなければならない政治家としての立場上、まことに止むを得ない事情があったからであり、脱税をもくろんだからではない。もし、被告人が株取引益に対する課税回避を第一義的に考えていたとすれば、政治団体の株取引は非課税とされていたのであるから、政治団体の取引のまゝにしていたはずである。それをしていない事実は、被告人が課税回避ではなく、選挙を第一義に考えなければならない政治家としての立場を優先させたことを何よりも雄弁に物語っているということができるのである。この点は、被告人が捜査段階から一貫して供述している(検乙3)ところであり、公判段階で、にわかに持ち出したものではない。そして、多数の個人名義は非課税枠内に分散されているが、これは、政治団体の役員、秘書、家族などの名義を借用していた周辺の人達のやり方を被告人がまねたものである。そのうえ、従前、政治家の株取引益には課税されていなかったこともあって、被告人は、いわば、感覚がマヒし、そのような実情に甘えて、そのやり方を続けていたのである。
これに対し、原判決は「多数の個人の名義を借りて非課税枠内に納まるようにしていた」ことなどからして被告人の脱税の犯意は明確で「当初から脱税をもくろんだ意図的な犯罪である」との評価も妥当する旨の判示をして弁護人の右の主張を排斥している(8丁裏~9丁裏)。しかし、これは、政治団体名義から個人名義に取引形態を切りかえた経緯、理由を正しく評価しないで一方的に決めつけているものというほかはない。
そもそも、被告人は、捜査段階から一貫して脱税の犯意を認めているのであるから、原判決が、ことさらに、被告人が犯意を否認しているかの如き不正確な誤った文言を用いて、被告人の弁解態度が不当である旨ことさらに言及して、その否認の弁解が是認できない旨を強調する如き判示の仕方は偏見に基づくき弁というほかはない。
政治団体から個人への取引形態の切りかえは、右に指摘したとおり、常に選挙を念頭におかなければならない政治家としての立場上、止むを得ない事情があったことを看過されてはならない。そして、被告人は、周辺の人達のやり方をまねて惰性で非課税枠内の名義分散などをしていたにすぎない。それを「初めから意図的に脱税をもくろんだ」と決めつけるのは余りにも被告人に酷すぎる。原判決は、このような経緯、実情を正しく評価しないで甚しく不当な刑の量定をしているのである。
三、原判決は、以下に指摘するとおり、国税当局の対応などについての評価を誤り、重要な事実を誤認している。
原審において、弁護人は「第一審判決は、国税当局との折衝の経緯、内容を誤認したものであり、その誤認の最大の理由は、被告人側が自ら多岐にわたる本件株式取引の全容を多大の費用と人員を投入して半年間にわたり調べ上げ、その調査の結果を所轄の関東信越国税局(関信局)に提出して相談し、その指導を仰いだという事実を看過した点にある」ことを明らかにした。
これに対し、原判決は「逋脱所得の一部につき、第三者の名義を用いて期限後に申告・納税に及んだ行為を被告人の反省の現れと評価することはできないし、また、そのような処理を事実上容認したに等しい国税当局の対応についても、少なくとも被告人側においてその非を主張できる立場にないことは明らかといわなければならない」などと判示して右の弁護人の主張を排斥している(14丁~16丁裏)。しかし、これは、次に指摘するとおり、国税当局の対応などについての評価を誤り事実を誤認したものというほかはない。
先ず、この間の経緯を要約すると以下のとおりである。<1>被告人は、秘書数名を動員して平成元年二月から七月にかけて昭和六一年分ないし同六三年分の株式取引の内容と資金の動きを調査し、その結果を逐次、関信局に提出したが、それによって右の三年間で合計約二三億円の株取引益を得たことが判明した。<2>右の提出資料を調査した関信局は、合計約二三億円の株取引益のうち、コーリン産業との相対取引分とこれに関連する市場取引分合計約一〇億七〇〇〇万円は被告人の個人取引、残りの市場取引分合計約一二億三〇〇〇万円は政治団体の取引とそれぞれ認定した。<3>関信局は、右の認定に基づき被告人に対し、個人取引認定分約一〇億七〇〇〇万円を申告するように指導した。これを受けて、被告人側は、そのうちの約二億四〇〇〇万円は政治団体取引認定分と同様の資金調達内容であることを理由に、それを個人取引認定分から除外することを要望した。<4>関信局は、右の要望をいれて、その分を政治団体の取引と認定し、残りの約八億三〇〇〇万円を個人取引分として申告するように指導した。<5>被告人は、右の指導に従うことにしたが、近く予定されていた衆議院議員総選挙への影響に考慮して同選挙直後に堀越秘書名義で、その申告納税をすることを要望し、関信局は、それを認めた。<6>これに基づき、総選挙の翌日である平成二年二月二〇日、堀越秘書名義で右の約八億三〇〇〇万円に同秘書の給与所得合計約一〇〇〇万円を加算して修正申告・納税をしたのである。
右の経緯からして明らかなとおり、被告人は、本件株取引と資金の動きの全容を自主的に調査して作成した資料を提出し、それに基づいて調査をした関信局の指導に従って修正申告・納税をしたのである。何故、被告人は、そのような自主的調査をして作成した資料を提出したのか、その理由は、取引内容と資金の動きの全容を明らかにして関信局の判断を仰ぎ、その指導に従う積りであったからにほかならない。そうでなければ、納税者側が、そのような自主的調査と資料の提供をするはずはないからである。その資料提供は、調査、作成の都度、逐次、行われているが、これは関信局の調査担当官からの指示に基づき不足分の追加調査をして作成した資料を、その都度、提出していたからである。その点は劍持税理士の検察官に対する供述記載(検甲113)からして明らかである。本来ならば、このような調査と資料の作成は調査をする国税当局において行なうのが通常である。ところが、本件の場合は、これとは逆に、調査を受ける立場の被告人側が自主的に調査をして資料を作成提出したのであり、関信局は、それを利用し、不足分の調査と資料の作成を逐次、指示して提出させ、その資料に基づいて本件株取引の調査を遂げたうえ、その調査結果に基づく申告指導をしたのである。
この点に関連して、原判決は、関信局直税部長から劍持税理士に対し「当局が調査した訳ではないので、これで申告を是認するということではないし、当局が指導した訳でもない、自主申告だから実態の分かっている被告人側の判断で申告して欲しいと念を押された」と認定している(15丁)。しかし、これは明らかな誤認である。右に指摘したとおり、関信局は、被告人側の提出した資料によって調査を遂げた結果に基づき具体的な申告指導をし、それに基づく折衝の結果の最終指導に従って被告人側が申告納税をしたことは動かし難い事実である。右の原判決の認定は、この動かし難い事実に反する明らかな誤りである。この点は劍持税理士が作成した説明メモ(検甲147、7、8枚目)の記載によって如実に裏付けられている。そのメモの7枚目には、「(3)申告指導」の項目の下に「イ、場外取引による収益10.7億円を申告すること、ロ、申告名義は本人でも秘書でもよい、ハ、この結論は庁とも協議済、庁への陳情は控えること、ニ、調査したわけでない、指導したこともないということにしてほしい」との記載があり、さらに、そのメモの8枚目には、右の申告指導を受けた被告人側の要望の検討結果として「<1>申告所得は8.3億円でOK、<2>申告名義は堀越でOK、<3>自主申告(当局は関知しなかったこと)にしてほしい」などと記載されている。このメモは、劍持税理士が被告人や弁護人らに説明するために自ら作成したものであるから、関信局との折衝経過をありのまゝ記載したものであることはいうまでもない。ところが、同税理士は、検察官の取調べを受けた際、関信局から「・・・ということにしてほしい」などと指示された部分を、わざと除外し「・・・したわけではない」などといわれたと事実を曲げた供述をしている(検甲113)。原判決は、その事実を曲げた供述記載のとおりに認定しているのであるから、その認定が明らかな誤りであることは多言するまでもない。
そして、関信局は、コーリン産業関連以外の市場取引分約一二億三〇〇〇万円と同関連分の一部約二億四〇〇〇万円を政治団体の取引と認定しているが、これは被告人側で作成提出した資料に基づく調査の結果である。その提出資料は取引内容と資金の動きの調査結果を包み隠さず明らかにしたものであり、それを調査した関信局が右の取引を政治団体の取引と認定したのである。被告人側が提出した資料は右に指摘したものだけで、そのほかに提出したものはない。したがって、「これらの主張を受入れてもらうため資料を提出している」との原判決の認定(16丁)は明らかに誤りである。また、最終の個人取引認定分約八億三〇〇〇万円を堀越秘書名義で総選挙直後に申告納税することは、関信局に要望し、それを容認してもらったうえで行ったのである。もし、関信局が、その要望を受け入れなければ、被告人は自己の名義で即座に申告納税をするほかはなかったことはいうまでもない。関信局は、被告人の納税地を所管する国税局であるから、その承認がなければ当初の指導のとおりにするほかはない。そうしなければ更正決定は免れないからである。このように、被告人は「国税当局がそのような態度を採らざるを得ないように仕向け自己に有利な主張を事実上受け入れさせた」ことは一切ない。あくまでも、調査を受ける納税者としての要望をして受け入れてもらったにすぎない。したがって、被告人が右のように「仕向けて受け入れさせた」旨の認定をしている原判決の判示(16丁裏)は明らかな誤りである。
以上に詳述した関信局の対応などの事実経緯からすると、原判決(14丁裏)が「逋脱所得の一部につき、第三者の名義を用いて期限後に申告・納税に及んだ行為を被告人の反省の現れと評価することはできないし、また、そのような処理を事実上容認したに等しい国税当局の対応についても、少なくとも被告人の側においてその非を主張できる立場にないことは明らかといわなければならない」と判示しているのは誤りであることは何人の目にも明らかなところであろう。このような明らかな誤認に基づいて右のように決めつけている原判決は、余りにも、一方的な片寄った判断をしている。これでは、被告人に酷にすぎて甚しく不当であるといわざるを得ない。
四、原判決は、次に述べるとおり、被告人が事実上、過大な租税負担を強いられるなどしていることを正しく評価していない。
1、先ず第一に、前記三で詳述した堀越秘書名義による約八億三〇〇〇万円の修正申告納税は、実質上、被告人の申告納税とみるべきである。
この点について、原判決は「第三者名義による納税申告は、納税義務者本人の納税申告として、その納税義務の確定という公法上の効果を生じないから、これを被告人自身による修正申告と同様に評価することはできない」として(17丁)弁護人の主張を排斥している。しかし、これは、実質を度外視した、余りにも形式的にすぎる評価で妥当を欠くといわざるを得ない。前記三で明らかにしたとおり、堀越秘書名義の修正申告納税は、本来、被告人の申告とすべきところ、所轄関信局の承認を得て便宜上、堀越秘書名義としたものであり、当然のことながら、その納税資金は全額、被告人が拠出している。そのうえ、第三者名義を利用して申告納税する場合は、それによる所得の分散などによって租税負担の軽減を図るのが通常である。しかし、本件の場合は、そのような租税負担の軽減は図られていない。それどころか、堀越秘書の給与所得合計約一〇〇〇万円を加算して申告納税しているので、むしろ、過大な租税負担を甘受しているのである。
このような経緯、内容からすると、堀越秘書名義の申告納税分は実質上、被告人のものとみるのが相当である。
2、第二に、本件は脱税所得金額は課税計算上の所得金額で実際の利得金額ではない。その結果、被告人は、事実上、過大な租税負担を強いられている(詳細は原審における弁護人の控訴趣意書12丁~13丁裏参照。)。
この点について、原判決は「課税所得は租税法規によって定められた方法で算出され、これを基礎として税額が限定されるのであるから、租税逋脱犯につき、これと異なる方法によって算出した課税所得を前提として情状を論ずるのは、法規に従って課税所得を算出し、これによって税額を納付している他の納税者に対する関係においても公平を失することが明らかであり、所論にはにわかに賛し難い」として弁護人の主張を排斥している(18丁裏、19丁)。しかし、弁護人は実質利得額に着目した租税負担の高低を指摘しているのであるから、原判決の右の判示は、余りにも形式のみにとらわれて実質を度外視した評価で妥当を欠くといわざるを得ない。
また、原判決は「雑所得における有価証券の譲渡原価の算出について期末在高は無関係である」ことを前提として弁護人の主張を排斥している(18丁裏)が、これは明らかな誤解である。所得税法四八条一項は事業所得である有価証券の譲渡原価の算出に関する期末在高の評価方法を定めたものであるが、同条三項において、雑所得の場合について右の期末在高の評価方法が準用されている。つまり、雑所得の場合であっても、事業所得と同様の方法で評価した期末在高を加味して譲渡原価を算出するのであり、実際にも、本件の場合、各年末の在高を調査し(検甲72)、それを加味した譲渡原価が算出されている。したがって、「雑所得の場合の譲渡原価算出に期末在高は無関係」としている原判決の右の判示は明らかな誤解であでることはいうまでもない。ちなみに、本件の場合の売買損益は、期中売却高から原価を差し引いた残額であるが、原価は期首在高に期中買付高を加えて期末在高を差し引いた金額である。これを算式で表すと、
期中売却高-(期首在高+期中買付高-期末在高)
となり、その( )を解くと、
期中売却高-期首在高-期中買付高+期末在高
となる。つまり、この場合の収入金額は、各年ことに、売却合計金額から期首(一月一日)在高金額と買入合計金額を差し引いたうえ期末(一二月三一日)在高金額を加算して算出した金額となるのである。(なお、「期末在高は売買益に加算される」という表現は原判決指摘(18丁)のとおり不適切であるから改める。)
3、第三に、本件株取引益から政治活動費に支出したと推定される合計約二億五八〇〇万円は、課税実務上、必要経費として認容されるべきものである。
右の支出額は、第一審における堀越秘書の証言、同速記録添付「株取引益出費明細(不明分)」の記載によって明らかである。その支出額は、課税実務上、必要経費として認容される取扱いであった。しかし、事柄の性質上、領収書を入手できず記録も残されていないので、その明細を公判廷で立証することは事実上、不可能であることから、必要経費の主張・立証を断念せざるを得なかったのである。したがって、情状としては、右の支出額合計二億五八〇〇万円を必要経費として本件株取引益から控除した残額が実質上のほ脱所得金額とみるのが相当である。
これに対し、原判決は「仮に、所論のような目的に使われたという実態があるにしても、それが本件株式売買益の『必要経費』となるものでないことは、さきに詳論したとおりである」として排斥している(8丁)。こゝで「先に詳論した」としているのは「政治活動費の支出は株取引益に対応する必要経費でないので本件の場合の必要経費とはなりえない」との説示(3丁裏~4丁裏)を指している。その説示が誤りであることは先に一、2で詳述したとおりであるから、原判決の右の指摘も誤りであることは多言するまでもない。
以上に指摘した堀越秘書名義申告納税分約八億三〇〇〇万円と課税計算上の過大額約五億円に課税実務上、必要経費として認容されるべき約二億五八〇〇万円を加えた合計額は約一六億円近くに上る。その金額は本件ほ脱所得金額合計約二九億円の五五パーセント以上に相当する。このように、本件ほ脱所得金額の半額以上は事実上、過大な租税負担となっている。このような事情も本件の情状として十分に酌量されるべきである。
五、さらに、以上に指摘したことのほかに、次に述べる被告人に有利な情状について十分に酌量されるべきである。
先ず、原判決は、被告人に有利な事情として、被告人は、(a)昭和四四年以降衆議院議員に連続八回当選して、その地位にあること二一年間に及び、また、昭和六一年七月から同六二年一一月までの間環境庁長官を勤めるなど、長期に亘り国政に貢献してきたものであること、(b)本件が発覚し、平成二年一二月二七日本件公訴が提起されるや、二週間も経ない翌三年一月八日、自ら決断して衆議院に議員辞職願いを提出し、同月一八日の院議で許可されており、多年に亘り築き上げた地位と将来の大成への希望を潔く放棄し、国民に詫びる姿勢を示していること、(c)公訴提起後は、その直後に急死した実母の葬儀にも出席せず、親族、知人の冠婚葬祭にも欠席するなど、ひたすら社会から隔絶し、いさゝか過剩とも見える程の謹慎生活を続けていること、(d)前示のとおり、重加算税全額を含め、依然として未納税額は残しているものの、これまでに国税、地方税合計一九億八四八〇万五六三三円を納付しており、これらの納付に当たっては、本件脱税にかゝる株式売買益を再投資して取得した株式を処分したのは当然のことながら、父祖伝来の土地建物を売却したほか、バブル崩壊に伴うかなりのキャピタル・ロスを被りながらも、被告人及び関連会社所有の不動産はもとより、絵画、ゴルフ会員権から電話債券に至るまで、処分はできるものは洗いざらい処分するなど、懸命の努力をしており、今後、国税当局に差し押さえられている東京都新宿区市ヶ谷所在のマンションが処分されゝば、所得税本税の未納分全額と重加算税のうち約一億円に充当できる見通しであることを挙げている(25丁裏、26丁)。
これに加えて、さらに、被告人は本件起訴を通じて少なからぬ精神的苦痛を受け既に十二分の社会的制裁を受けていることに留意されなければならない。すなわち、被告人は、本件起訴を受けて職を失い住む家もなく、知人の好意によるアパートの一室に家族三人が身を寄せ厳しい世間の目を避けて、ひっそりと日陰の生活を続けて謹慎の毎日を過ごしてきた。手取月額約三五万円の国会議員互助年金と妻の働きをたよりにきりつめた生活をしながら、仏だんもないアパートの部屋の片隅の整理ダンスの上に置いた先祖の位はいに手を合わせ、ざん悔の毎日を過ごしてきたのである。被告人は、そうした、つらい孤独の生活の厳しさに加えて裁判の先き行きについての不安にも懸命に耐えて第一審判決後の二年半を過ごしてきたのである。そして、第一審判決が認定しているとおり、本件が国会議員による脱税事犯ということで広く知られ、そのため被告人は、本件起訴前後から衆人の注目の的となって行動は制約され、その受けた精神的苦痛は大きいものがあったと考えられる。特に、被告人の政治家としての歩みを大きく支えた母親が不慮の死を遂げたにもかゝわらず、その葬儀に加わることができなかった無念さ、苦しみは、多大なものがあったと推認できる。また、被告人の家族においても、被告人と同様の、あるいは、それ以上の精神的衝撃を受け、有形無形の苦痛を味わっていると考えられる。このように、被告人が国会議員の地位にあったが故に、裁判による科刑以外に被らざるを得なかった精神的苦痛は甚だ大きいものがあるといえるのである。
こうして、被告人は、平成二年一二月末に起訴されてから現在までの約三年半の間、まさに「地獄の苦しみ」を味わい続けてきた。その精神的苦痛は筆舌に尽くし難いほど大きく、既に、十二分に社会的制裁を受けているということができるのである。
第三、結論
前記第一で詳述したとおり、原判決は所得税ほ脱犯についての罰金刑併科規定の解釈適用を誤って被告人に対し罰金三億円を併科するという甚しく不当な刑の量定をしている。
さらに、原判決は、前記第二で順次、明らかにしたとおり、政治資金との関連でみた本件の特殊正を誤認するなどし(一)、犯意の程度、内容について誤った評価をしている(二)ほか、国税当局の対応などについての評価を誤るなどし(三)、また、被告人が事実上、過大な租税負担を強いられるなどしていることを正しく評価していない(四)。そして、原判決が挙げている被告人に有利な情状に加えて、被告人が既に十二分の社会的制裁を受けていることに留意されなければならない(五)。
このような情状を総合すると、このうえ、さらに、被告人を懲役刑の実刑に処して服役までさせることは、かえって、刑政の目的に反するのではないかと思われる。
それにも拘わらず、被告人を懲役三年の実刑に処した原判決の刑の量定は、三億円の罰金を併科したことと併せて甚しく不当で著しく正義に反するものというべきである。よって、刑事訴訟法第四一一条第二号により原判決は破棄せられるべきものと思料し本件上告に及んだ次第である。何卒、本件の特殊性などの実情をご賢察のうえ、正義にかなったご裁断を賜りたく切に上申する。
追補
なお、原判決は罰金刑併科の趣旨は、犯人から相応の金額を剥奪することにより、不法利益の取得を目的とする犯罪行為が経済的に引き合わないことを強く感銘させる点にある、とする(21丁裏)。刑として罰金刑のみが科せられる場合には、相応の罰金額を量刑することによって犯罪行為が経済的に引き合わないことを感銘させ、その効果を期待するのが法意であることはいうまでもないが、このような感銘力の効果は罰金刑によってしかあげられないものではなく、懲役刑等の自由刑によっても同じく達成させるものであることを忘れてはならない。懲役刑に処せられて受刑すれば、自由を奪われ、またその間、社会において経済活動をすることは不可能な状態に置かれて収入の途が閉ざされるのであるから、経済的に引き合わないわけであり、罰金刑の場合と同様の感銘力の効果はあるのである。
併科刑の制度は、懲役刑と罰金刑とを融通無碍に組み合わせ、弾力的な最も効果のある運用ができるように裁判所の自由裁量に量刑操作を委せているのである。原判決は併科刑の意義を正しく理解しない誤りを冒している、と言わなければならない。
なおまた、原判決は、罰金併科の一般的原則として、同一担税力を有する者には同一の租税負担を課するのが原則であり、租税賦課及び執行の手続におけるこの要請は、租税逋脱犯に対する量刑の場においても、できる限り尊重すべきものである旨判示している(22丁、同丁裏)。同一租税力・同一租税額ということは、課税負担については租税公平主義の立場から十分是認できる見解であるが、租税逋脱犯に対して刑罰として科せられる罰金の額に関しては妥当しないのである。なぜならば、罰金が刑罰である以上、単に担税力のみならず、その他の量刑上考慮すべき諸要素もすべて加えて、当該事案の情状に適した適当な罰金額が量定されなければならないからである。その意味では、行政上の課税額算定の基準と刑事罰としての罰金額量定の基準とは同一ではありえないし、またパラレルに考えるべきものでもないのである。
のみならず、罰金が選択刑、併科刑とされている場合には、量刑上の操作としては、当該事案の犯情の大小、軽重な全体的視野の下で総合的に考えて、懲役刑と罰金刑とのいずれを選択するのが妥当か、あるいは両者を併科するのが相当か、併科する場合に刑期と罰金額との釣り合いをどのようにするのか、例えば、懲役刑を重くする代りに罰金額の方を軽くするとか、あるいは逆に、罰金刑を重くする代りに懲役刑の方を軽くするとかなどの検討と判断が事案の一切の情状を総合した上で行われなければならないのである。これが罰金刑併科に関する本来の原則であり、やり方である。このような観点からすれば、原判決のいわゆる一般的原則なるもの(27丁裏、その他)は独自の見解であり、基本的に誤りであると言わざるをえない。
以上のような誤った基準を前提になされた原審の量刑は甚しく不当なものとならざるをえないのである。原判決は、これを破棄しなければ著しく正義に反すると思料する。
平成六年(あ)第四〇三号
上告趣意書補充書
所得税法違反
被告人 稲村利幸
右被告人に対する所得税法違反事件につき左記のとおり上告趣意書補充書を提出する。
平成七年六月二十二日
右弁護人弁護士 守谷英隆
最高裁判所第二小法廷 御中
記
第一、頭書事件につき、被告人の弁護団が、平成六年六月一日付で次の趣旨の上告趣意書を第二小法廷宛に提出しているので、本弁護人はこれを援用する。即ち
「被告人を懲役三年及び罰金三億円に処した原判決は、罰金刑を併科したことと懲役刑の執行を猶予しなかった点において、その量刑は甚だしく不当である。よって同判決は、刑事訴訟法第四一一条第二号により原判決は職権をもって破棄されるべきである。」
本上告趣意書補充書(以下「本補充書」という)では、一、右上告趣意書提出から一年以上経った今日何故本補充書を提出することになったのか、二、被告の追加主張したい点は何か、三、その根拠(証拠)は何か、四、被告人の願い等について以下次のとおり陳述する。
第二、上告趣意書提出から一年以上経った今日本補充書を提出するに至った理由。
一、弁護人守谷英隆の事務所(ブラウン・守谷・帆足・窪田法律事務所)のパートナーの一人であった故帆足昭夫弁護士は、被告人の足利高校時代からの友人であった関係から原審で被告人の弁護を引き受けていた。私は帆足弁護士とは、三十数年間兄弟のように苦楽を共にした仲で、帆足弁護士は国際金融、国際税制面では日本でも一目を置かれる存在であった。帆足弁護士は平成五年初から、自分が癌であることを承知の上、入退院を繰り返しながらも旧友である被告人のため控訴趣意書を考えた。そして控訴趣意書補充書も書き上げたが、同年八月三度目の入院をし同年九月六日死亡したため、右控訴趣意書補充書は正式のものとはならなかった。
二、帆足弁護士は、三度目の入院をした時、既に死期を意識し、病院で同人の妻と娘立会いの下に病床で呻吟しながら詳細な遺言を口述で残した。私は、彼の遺言通り葬儀委員長をやり、彼が残していった仕事の残務整理を行った。その中の一つが所得税法違反事件被告人稲村利幸の刑事記録と彼が病床で書いたが遂に日の目を見るに至らなかった控訴趣意書補充書であった。
三、帆足弁護士は、申告納税制度を採用している我が国の所得税法に於ては、国税当局と納税者との間でどのように交渉が行われ、課税所得の査定がなされ、納税がされているかを日本の行政指導の土壌を踏まえた上で極めて実務的且つ体系的に纏め、控訴趣意書補充書として書き上げていたことを知った。
税に限らず、日本では凡そ公権力の行使に関するものは、すべて行政指導が強く働く。ことの良し悪しは別として、この行政指導が国内的にも対外的にも広く行われ、日本独特の一種の秩序維持の役割を果たし、関係者の行為規範として機能してきた。このことは、我々が日常、常に経験するところである。
四、本件弁護人は、帆足弁護士が死亡し、刑事記録返還の時始めて被告人に会ったが、極めて真面目且つ実直な人で、どちらかと云うと政治家らしくない人だとの印象を受けた。本人は平成二年一二月二七日所得税法違反で起訴されるや、翌年平成三年一月八日二年七ヶ月の衆議院議員の任期を残して潔く議員を辞職した。長い自民党の歴史の中でこのように起訴直後に潔く衆議院議員を辞職したのは被告人が初めてであり、被告人自身の潔癖な性格と反省の現れである。爾来本人は対外的な交際を控え、人目を避け、ひっそりと孤独な生活を妻と娘とで送っている。
五、平成六年六月一日被告人の弁護団より御庁に対し上告趣意書が提出された。被告人は、この上告趣意書に感謝しながら、被告人自身が一審、二審と本件審理を通じ肌で感じたことを率直に書いた「上申書」を平成六年七月一九日御庁に提出した。被告人の妻稲村正子は、経済的にも精神的にも苦しい中で、被告人を支え、悪戦苦闘していること、また主婦として原判決の納得できない点を中心とした「嘆願書」を自筆で書き、平成六年八月二九日御庁に提出した。被告人は、最高裁判所の判決を仰ぐことになっている今日、是非共真実を申し上げ自己の真意を表明しておきたいと考え、平成七年六月七日付「追加上申書」を作成したので、本補充書と共にこれを提出する。
被告人は、本件起訴(平成二年一二月二七日)以来、特に原審判決以降苦悩の日々を送っており、精神的にも参っているので、私は見るに見かねて、同人の主張及び立場を御庁の裁判官各位に是非共ご理解願うべく本補充書を提出する次第である。
第三、被告人として追加主張したい点
一、被告人の右「上申書」及び妻正子からの「嘆願書」は、昨年夏御庁の各裁判官及び調査官にそれそれ提出しておりますので、裁判官各位におかれては既にこれら書類に目を通されているものと思います。
極めて多数の事件が累積、繋続しているところ、はなはだ恐縮とは存じますが、被告人としては被告人の弁護団が既に提出している「上告趣意書」と、前記「上申書」及び「嘆願書」とを是非共裁判官各位に虚心坦懐なお気持で今一度お読み願うことを切望しております。また今回提出の「追加上申書」も是非ご一読願い度く存じております。
被告人の「上申書」及び「追加上申書」並びに「嘆願書」等での主たる情状に関する事実誤認の主張は次の二点である。
二、劍持メモ(検甲147)の問題点
(一) 原審判決では、劍持税理士直筆の九頁にわたるメモ(関信国税局からの申告指導及び見解等)が全く正当に評価されず、搜査の段階で大幅に歪められた劍持税理士の検面調書に依拠したがため国税当局の対応などの点について重要な事実誤認がある(上告趣意書第二、三国税当局の対応などについての評価を誤り、重要な事実を誤認している、18丁裏より22丁裏。被告人「上申書」第一、劍持メモ(甲147)についての諸問題、2丁表~8丁表。「追加上申書」5頁~9頁、稲村正子「嘆願書」1丁裏~6丁裏」。即ち、
(1) 昭和六十三年一月二四日前後に被告人の政治関係団体役員と秘書達に対し、それぞれの所轄税務署から株の相対取引に関して尋ね書が届いた。被告人は税務に精通した先輩政治家から政治資金のこともあるので個々の税務署ではなく東京国税局で一括して相談する方が適切であるとの助言を受け、昭和六三年二月四日東京国税局へ出向した(以下「上申書」添付資料五「稲村利幸と関係者の主な日程表」参照)。同年三月被告人と秘書二名が東京国税局を訪問した際、国税局側は素人を相手では世話が焼け、やりずらいと思ったのか、餠は餠屋、税の関係は専門的なので専門の税理士に依頼するよう勧められ、被告人側は同年八月熊本国税局長を辞職し、税の実務に精通した劍持税理士に被告人の税務処理一切を依頼した。
被告人の当時の現住所が栃木県にあったので同年九月以降は栃木県を管轄する関東信越国税局(以下「関信局」という)で取り扱われることになった。被告人としては、関信局の調査に十分協力するため、昭和六一年、六二年、六三年分のみならず、その数年前からの資金の流れの全容を解明すべくベテランの劍持税理士の指導と援助を頼み、また被告人の当時の秘書四名は平成元年始めから半年近く殆ど自宅にも帰らず、近所のホテルに宿泊し資料集め及びその整理に努力した。証券取引の内容の正確を期す為関信局の担当官とは常時連絡を取りながら間違わないように細心の注意を払い、大変な労力と資金を費やして、平成元年七月上旬までには政治資金を含めた全資金の資料を関信局の担当部所(直税部長び資料調査課総括主査白津氏)へ提出した。この関係資料は取調べ検事に誉められた位完璧に近いものであった。またこのことは裁判記録でも明らかである。)その後も三、四度と同税理士と被告人の秘書とが関信局に出向き一つ一つの質問を受けたり相談を重ねて、平成元年一二月に至り漸く関信局からの「総合見解及び指導」(検甲147)、劍持メモ七頁、八頁等参照)を受けた。
(2) 関信局は国税庁と協議した結果、被告人に対する「総合見解及び指導」を出したが、その申告指導の(ロ)申告名義は、本件でも秘書でもよい、(ハ)この結論は国税庁とも協議済。庁への陳情は控えること、(ニ)調査したわけでない、指導したこともないということにしてほしい。等々。被告人稲村側の要望を関信局を通じ国税庁へ具申し、お願いした点についての次の回答を得た。即ち、劍持メモ8頁の<1>、<2>、<3>、<4>で、「申告書は関信局計算の下書きをもとに堀越秘書が作成、選挙後の提出日まで関信局にこの下書きを預託する等々であった。」(証拠(甲147)劍持メモ七、八頁参照)。右関信局の行政指導に従って、平成二年二月二〇日衆議院総選挙直後に秘書堀越洋七名義で修正申告(八億三千万円を含む)をし、納税を済ませた。他の十三億円については平成元年一〇月中旬政治資金として認知する旨関信局からの説明を劍持税理士から聞いていたので(「上申書」資料五、4・5頁)、その三分の一程は講演会活動政治資金として使い、残りの大部分は納税に当て、残金は十数名の秘書達の退職金となりました。
(3) 被告人は、所得税の納税関係は既に終わったとばかり思っていたところ、平成二年九月二三日堀越秘書に対する東京地検の事情聴取が始まり一週間程続けられた。被告人は、二年間近くもの間全資料を整理して国税側に提出し、長時間にわたって国税に相談し、御意見をうかがい、御指導の通りに修正申告をし納税も済ませてあるのに、今何故刑事の取調べが始まったのかと奇異に感じ、疑問に思った。そこで現実に国税側と折衝していた劍持税理士に被告人の弁護士(高橋正八、横井治夫の両弁護士)に対しこれまでの国税との折衝の経緯とその内容について直接説明するよう依頼したところ、平成二年一〇月上旬同税理士自身が書きまとめた九頁の書類(甲147)を持参し、両弁護士と、被告人、及び三名の秘書に配付し、その内容の説明を出席者全員にした。この内容、特に関信局の「総合見解及び指導」は被告人、秘書等が平成元年秋口から一二月にかけ、劍持税理士から直接聞かされていたのと同じであった。
つまり、劍持メモは、医者が患者の症状を書いたカルテ、弁護士が依頼者に事件の経過報告をする書類と同じで、同人の税務処理業務に関するごく自然な経過・処理報告書であった。当時同税理士は、このメモ作成について他から頼まれたり、圧力をかけられたりしたわけでないから、極めて信憑性の高い文書である。この劍持メモは、商業帳簿、航海日誌その他業務の通常の過程において作成された書面(検事訴訟法第三二三条二号)に該当するもので証拠能力があるだけでなく、同税理士が自発的に且つ任意に自己の事務処理に関し書いたものであるからその信用性は極めて高い。
(二) ところが、劍持税理士は、被告人から国税との折衝及び納税申告について全権を一任されていたにも拘わらず、検察からの事情聴取の過程で口述するような検察に自己の弱点を握られ、以後掌を返すように事実とは裏腹のことを、そして被告人稲村に不利になるような虚偽の供述をしている。例えば、
<1> 同人は、『劍持メモ』の存在について検事に一切供述していない。-或は取調べ検事が「劍持メモ」の存在を認識しながら、わざとこれについての質問を避けたのかも知れない。
<2> 『関信局から自主申告ということにしてほしい』と指導された部分をわざわざ除外している。
<3> 『関信局としては、調査したわけでない。指導したこともないということにしてほしい』(劍持メモ七頁(3)『申告指導』(二))という点を、『調査したわけではない。国税局が指導した訳ではありません。』と直税部長に念を押されたと剣持税理士は、検事に供述している(同人供述調書43丁裏)。しかし、これでは、本補充書第三、二、一、(1)で述べたように半年間も被告人の秘書四名がホテルに泊り込みで劍持税理士指導の下に資料を集め、関信局の担当官に常時連絡を取りながら資料を整備・提出し、調査に協力し、相談し、指導を受けていたのは、一体どう云うことになるのであろうか。「指導したこともないことにしてほしい」とは、事実とは異なり、事の成行上関信局としてはそのような取り扱いを臨むと云うのが事実であろう。
<4> 劍持税理士は同氏の供述調書(36丁表)にもわざわざ『稲村代議士個人のクレジットの支払や、稲村個人の会社と認められる会社に金を回して不動産の購入資金に回しているのが分かり稲村代議士側では私に事実に反する説明ばかりしているのが分かりました。』と述べているが、これは、事実を曲げて被告人稲村を不利に陥れるような供述をしているものである(被告人「上申書」6丁裏)。
<5> 劍持税理士の検察官に対する平成二年一二月二十五日付供述調書中十八頁にもわたり、白紙で空欄になっている。検察側が本件立証につき不必要と考えた部分であろうが、異常な空欄と云わざるをえない。
<6> 当時被告人にしてみれば、快刀乱麻を断つ頼もしい専門家として国税との折衝のすべてを委ね、被告人等を指導してくれていたのに、一旦自分が検察からの事情聴取を受け、自分のことで弱点を握られると保身の為手の掌を返すように被告人を悪人と思わせるような供述をされたのではたまったものでない。そのように信憑性のない検察官に対する供述調書を基に国税当局の対応を誤認し、判決されるのは、大きな事実誤認である。
(三) 検察の事情聴取の過程で握られた劍持税理士の弱点。
(1) 被告人は生来事務的な事に不得手な上、この種税の細かいことについては余りよくわからなかった。既に述べたように当初被告人と秘書が東京国税局を訪問しても要領をえなかったので、昭和六三年三月上旬東京国税局訪問の際、国税局側から、税の関係は専門的なので専門の税理士に依頼するよう助言された(「上申書」添付資料五)。その後同年八月劍持税理士に委任し、資金の流れの調査解明と国税との折衝・対応を全面的に依頼した。同税理士は、被告人の秘書四名を指導監督し、株関連の資料を整備し、これを関信局に提出し、被告人のため折衝をしてくれた。
(2) 劍持税理士は関信局と被告人側の中に経って精力的に活躍し、平成元年七月上旬関係全資料を関信局に提出し一段落した時、同人から「私も査察の経験があるが、今回は査察を入れた以上に良く調査をしたよ。」と被告人と秘書達への慰労の言葉があり、喜色満面にその苦労の程を語っていた(「上申書」添付資料五、4頁、「嘆願書」6丁裏)。そして七月中旬劍持税理士から、被告人側に対しそれ迄の税務処理に関する報酬及び費用として、
三〇、四八八、五〇〇円也、
を請求してきたので、被告人の堀越秘書が同月一八日これを劍持税理士指定の銀行口座に振り込んだ。しかし、同税理士は平成二年三月一五日の所得税納付期限迄に右報酬等に関する所得税の申告をせず、同人が検事に長文供述調書をとられた日(平成二年一二月二五日)の翌日、また被告人が起訴される前日、即ち平成二年一二月二六日右税理士報酬金全額を「預かり金」と称して被告人側(新財経研究会宛)に返還し、同日付書留内容証明郵便でその旨「通知」して来た(「上申書」添付資料二)。
(3) 何故劍持税理士がこのような処置に出たのであろうか。これは、検察の取調べの段階でくりかえしくりかえし劍持税理士のやり方を詰問され、更に右脱税等税理士生命に関わる弱みを検察側に握られ、ついに自己の保身のため事実を曲げ検察側におもねる供述を強いられ、平成二年一二月七日と同月二五日の二回に亘るワープロによる長文供述書が作成された(「嘆願書」4丁裏、5丁表)。
その結果劍持税理士は、辻褄を合わせるため、自分が請求し、受領した税理士報酬を一年五ヶ月も経った、しかも被告人が起訴される前日タイミングよく、預り金と称して返送してきた。同税理士のこの要領の良さは、全く唖然とする外ない。
(4) 劍持税理士は、検事に対する供述調書の中で、<1>本来言う必要もないことをべらべらと供述し、<2>自分が国税当局に全資料を提供し一年数ヶ月も稲村側の税理士として交渉した事に目をつぶり、<3>国税側から調査も指導も何もなかったと念を押されたと言い、<4>他方依頼者には指導のなかった事にしてほしいと言っている。この事は俗に云う二枚舌を使うことである。見事なまでに二重人格性を発揮したその姿に、改めて一体税理士さんとは何だろうか、税理士の資格と使命について問い糾したい気持ちでいっぱいだと、被告人の妻は述べている(「嘆願書」5丁裏)。
(5) 特に注目すべきは、甲147号証の「劍持メモ」は一審に於いて立合い検事が被告人に泣きつかれて、法定に出した証拠である。この「劍持メモ」と検事の取調べ調書は明らかに矛盾し、食違っているのであるから、真実探求を目的とする刑事裁判では、公判廷で劍持税理士を証人として尋問し、「劍持メモ」と同人の「取調べ調書」のいづれが信憑性があるかを十分審理すべきであった。しかるに原審に於てもそのような審理は一切行われず、業務に関し普通に作成され信用性の高い「劍持メモ」を理由もなく排斥し、特殊な状況下で作成された劍持供述調書を一方的、短絡的に鵜呑みにした上、被告人の供述を全面的に退けた。これでは、合理的・経験則に則った自由心証主義にはほど遠く、偏見と予断に満ちた大変な事実認定である。従って、情状に関する国税側の対応の点は著しい事実誤認であると云わざるえ得ない。
(四) 検察段階の取調べの問題点・・・・・被告人は取調べ段階で、逮捕こそされなかったが、極めて厳しいと云うか、一種のおどし類似の言辞を取調べ検事から云われた。また、被告人が相談した元検事の弁護士から「武士は自分一人で一切の責任を取るべきだ。税理士や国税局の窓口になって折衝した人の責任転嫁は見苦しい。Captain last!」だと大変強い口調で云われた。この内外から加えられた精神的圧力と、自己の政治生命を守るため、何とか逮捕だけは避けたい一心で、被告人自身も心ならずも取調べ検事に迎合するような供述をしたり、上申書を検事の前で書き提出した。
勿論捜査の段階で被疑者を励まし、「真実を述べなさい。事実は何よりも強い。」と助言することは正しい。しかし申す迄もなく刑事責任は個人責任である。その個人を職業的に指導する立場にある専門家(税理士)や、公権力行使に当たる国税側の責任迄被告人が悪いと錯覚させるような助言は問題である。しかし、被告人としては、内外からの圧力と逮捕を避けたい一心で、不幸にも、取調べ検事に迎合するような供述をしたのは、誤りである。被告人は今日迄遠慮してこの点を自己の心の奥深く仕舞いこんでいたものである。(「追加上申書」2、3、4頁参照)。
三、原判決は、理由第一、「量刑の事情に関する事実誤認等の主張について」、三、国税当局の対応などの認定に於て、行政指導と納税者の立場に重要な事実誤認がある。
一 原判決理由第一、三、1の中で、
(一) 「逋脱所得の一部につき、第三者の名義を用いて期限後に申告、納税におよんだ行為を被告人の反省の現れと評価することはできないし、またそのような処理を事実上容認したに等しい国税当局の対応についても、少なくとも被告人の側においてその非を主張できる立場にない。」
(二)(a) 「当局が調査した訳でないので、これで申告を是認するということではないし、当局が指導した訳でもない、自主申告だから実態のわかっている被告人側の判断で申告して欲しいと念を押されたこと。」
(c) 「自主申告だから受理は拒めないが、それで申告の名義や内容を当局が是認したことにはならない。」
「国税当局がそのような態度を採らざるを得ないように仕向け、自己に有利な主張を事実上受け入れさせた被告人の側から国税当局の対応を非難するのは、顧みて他を云うものというほかない。」
と判示している。しかし、既に縷々述べたように右は、劍持税理士が関信局と折衝し、関信局が国税庁と協議し、被告人側に与えられた「総合見解及び指導」と全く相反するものである。このことは「劍持メモ」でも明らかである。原審判決が、このように誤った事実認定をしたのは、別の角度から見ると原審裁判官が日本に於ける行政指導の実態に全く無知・無理解であり、国税側の行政指導と納税者の立場に重大な事実誤認があると云わざるをえない。
(三) 日本に於ける行政指導・・・・・日本は明治時代になって諸外国から新しい近代法が導入され、列強に伍するため、国家的には中央集権、官僚指導型の行政指導が行われ、これが永年にわたり行われて来た。行政に関する法規の解釈は、判例がない限り所轄官庁が有権解釈を行い、また法の規定していないところは所轄官庁がこれを賄い、運用し、国民を指導して来た。このエリート集団による行政指導は、効率的且つ機能的に効力を発揮し、日本の行政面での秩序維持の役割りを果たして来た。国民も亦行政、特に公権力行使に関する分野では行政官庁の有権解釈と行政指導を尊重して行動してきている。これが一種の行為規範となっている。何故かならば、行政の解釈、行政指導は不服で、法の趣旨に反すると考えこれを裁判で争っても費用がかかる上に数年もかかる。それでは、多くの場合、世の中の需要(needs)に間に合わない。
しかも、日本では昔も今も、役所は「御上(おかみ)」であり、国民はこれに従うのが当然だと云う皮肉な醇風美俗の風習がある。例えば
(イ) 大蔵、通産、運輸、建設省等の場合、法規の外は殆ど行政指導で動いている。卑近な例を挙げると、「法律上・・・届出しなければならない」と規定されている。ところが実際は予め資料を整え、所轄官庁の窓口で、書類の内容と資料を検討して貰い、そのOKをえた後に、初めて届出書を提出し、受理される。文字通り届出書を最初から提出すれば、受け付けてくれない。
(ロ) 危険物運搬船が日本の港に入港する時は、海上保安庁が指示する膨大な資料と万一の事故の場合に対応する誓約書(pledge letter)が予め要求される。外国の船主団からその法的根拠を尋ねられると、海上保安庁は、「法律上の根拠はない。これに従わなくてもよい。」と云う。しかし、現実にこの行政指導に従わないと当該船舶の入港に際し、諸々の障害が生じ、入港が事実上困難になり結果的に右行政指導に一〇〇%従わざるをえなくなる。
(ハ) 輸出入、外国との貿易に強い権限を有する通産省は、海外でもMITI Gyoseishidoとその名(悪名)をとどろかせていることは、普通の社会人なら誰でも承知している。
(ニ) 税関係では、税務署の行政指導が最も強く働く。しかも所得税は、税を取り逃がさないよう実質所得者課税の原則(同法第一二条)で指導される。
このように日本の行政官庁、特に公権力を行使する官庁の行政指導の強さは、国民の間で周知・公知の事実である。俗世間を離れ、山奥で樵でもやっている人間ならいざ知らず、優秀な原審裁判官が万一このような行政指導をご存じなかったとすれば、正に由々しきことで、下々の下界から離れた雲上人と云うしかない。さもなければ、被告人の妻が心の底から訴えているように官僚組織を守り、組織に傷がつかないようにするため環境庁長官をやったことのある一政治家にすべての責任を収斂することだけを考えた偏見判決と云わざるをえない(「嘆願書」四丁表)。これでは到底公平・更正な判決とは云えない。
(四) 申告納税制
現行所得税法が申告納税制を採用していることは申す迄もない。納税者の自主的納税申告を前提とする申告の納税制度のもとにあっては、納税者が適正な納税につき疑義を持つ場合は多々あるが、その場合に納税者が相談し指導を仰ぐ所は所轄の税務署ないし国税局であって、検察庁や裁判所はそのような相談、指導には一切携わらない。そして、納税者が当該税務署・国税局に対して、(税法の解釈・適用はその専門家である当該税務署・国税局に任せるとして)正しい事実関係を開示して指導を求めることは納税者に期待される全てであり、そしてその事実関係に基き税法に照らして正確かつ迅速な納税指導をすることは当該税務署・国税局の職責である。その結果として得られた指導に基づいて納税することは、納税者が現行所得税法上期待されているところである。本件においても関信局が終始税務相談に応じたことは疑問の余地がなく、関信局長が「事務方の方で今後税務相談に応じる」と述べたことは正規の税務相談がなされたことを明らかにしている。
税務相談・指導において所得税法の厳正な執行を意図する国税当局と出来得る限り納税額を少額に喰い止めたいと希望する納税者との間で事実認定および税法解釈・適用について種々折衝が行われることは日常のことであるが、前述の通り国税当局において税務相談に応じ、その過程で被告人側において正しい事実関係を開示して国税当局にその指導を仰ぎ、折衝の結果得られた指導に基き納税したという点が明確である限り、税務行政を主管する国税当局の指導に従って納税した被告人を司法当局が当該指導の誤りを前提にして処罰するのは被告人に対し極めて酷である(被告人「上申書」添付資料四、帆足昭夫控訴趣意書1~2丁)。
(五) 前述第三、二に於て詳述した如く、被告人側は劍持税理士指導の下に被告人の当時の秘書が、半年にわたり株関係の資料を全部調査し、これら資料をありのまま関信局に提出した。その際資料の改ざん、隠匿等は一切なかった。劍持税理士をして「査察調査をやった以上によく調査した。」と云わせしめた程徹底した調査であった。このように重要な事実を全て関信局に開示し、政治資金等に関する法解釈、運用等に関しては、被告人から全権を任されていた劍持税理士と関信局の直税部長や資料調査総括主査との間で再三、再四、討議、検討された。更に関信局が国税庁と協議・検討した上、被告人に対する「総合見解及び指導」が出され、被告人側はこれに従って納税したものである。通常の納税者を基準に考えれば、これ以上一体何ができるのであろうか。
(六) 政治資金に関する主張は、上告趣意書6丁表から18丁裏迄の間に詳細に主張されているので、本補充書でもこれを援用させて頂く。いづれにせよ、政治資金規正法は、選挙に最大の関心がある政治家が作った一種のザル法であった。そして後援会活動や選挙関係の諸費用は、税務運用上は所得税の課税対象外として取扱われていたのが実態である。従って、被告人の政治資金規正法に関する解釈が裁判所の目から見て法的に誤っていたとしても、少なくとも全資料を関信局に提供し、その指導を仰ぎ納税した者と、脱税のため資料を改ざん、隠匿し、税務当局の強制調査を受け徴税された者とを一緒くたにすることは著しく正義・公平の観念に反する。本被告人が隅々元環境庁長官の役職にあったからと云って、被告人が政治資金の解釈、運用等につき税務当局に圧力を加えたわけではない。寧ろ素人が交渉したのでは、税務当局の事務に支障をきたし面倒をかけることになる。そこで被告人は昭和六三年三月税務当局が勧められたように、後に専門の税理士に依頼し、この者に税務当局と折衝して貰った。
(七) 前記判決理由(一)の(一)について。選挙を目前に控えた被告人が、選挙活動に支障がないよう、政治資金の取扱いと所得の申告方法等の運用の交渉を劍持税理士に頼んだのは、税理士と依頼人、弁護士と依頼人との対内関係である。その趣旨が誤っておれば、専門家の立場で、その旨助言すればよい。国税側との交渉の結果、政治資金の関わりもあり、堀越の名義で申告が認められたものである。
一の(二)(a)及び(c)について。所得税が「申告納税制」である建前論を議論しているのではない。行政指導の実態に目をつむり、被告人側の資料提出、前面協力、相談、行政指導の事実の外、「劍持メモ」を無視した非現実的、偏見に満ちた著しい事実誤認である。
一の(二)で「国税当局がそのような態度を採らざるを得ないように仕向け」と云うが、強力な組織と公権力を持ち、これを行使する立場にある国税庁や関信局が、被告人が頼んだ位で、その本旨が変えられるようなことはありえない。それ程行政官庁はひ弱でない。また元環境庁長官であったことも不当・不利に判断されてはならない。
被告人は、国税側の行政指導を批判しているわけではない。被告人側は、資料提出に全面的に協力し、被告人の代理人税理士が国税側と折衝し、最終的に国税側の行政指導に従い納税した。原審判決は、被告人側が国税側に相談し、行政指導を受けたことがけしからんぬと云うのであれば、余りにも世間知らず、非常識という他ない。
ともあれ、全資料を税務当局に提出し、専門の税理士が被告人のため税務当局の質問に答え、折衝を重ねた。更に関信局は上部機関である国税庁とも協議し結論を出した。この行政指導に従うのは、国民として、一市民として当然のことである。このような状況下において納税した被告人を原審判決のように、諸凡の事情を考慮せずに、所得税違反の金額を基に量刑を機械的に決めることは誤りであり、著しく量刑不当である。
(八) また、被告人に対する所得税法違反の告発が、なされたのは、管轄税務局(関信局)でもなく、その上部機関の国税庁でもない。本件には、直接管轄がないと云った東京国税局が、国税庁が指導を出して一年経った本件起訴日と同日に、告発が検察庁に提出された。その理由はさだかでないが、被告人が事件関係の幕引きに使われた(「嘆願書」二丁表)と考えるのもあながら誤りではないと思う。尚、本件情状に関する主張と被告人の反省とをごっちゃにされないよう本弁護人は心から願うものである。
四、その他
一部マスコミ報道等で、小谷氏関連の株取引で、山口明志医師は「国会議員である稲村氏から、株での利益は申告しないでも大丈夫ですよと教えられた」と法廷で云われた旨聞知しているが、これは全く事実無根である。(「追加上申書」一頁参照)
第四、第三主張の根拠(証拠)
第三「被告人として追加主張したい点」の根拠資料は次のとおりである。
(一)、被告人の「上申書」。これは概ね次の三点である。
(1) 被告人が置かれた窮状。
(2) 劍持メモ(甲147)の問題点-原審判決では同メモが正当に評価されず、歪められた劍持の検面調書に極めて大きく影響されている。
(3) 申告納税制度と本件について
被告人は国税当局の要求される資料は勿論、被告人が持つ全資料を呈示して、誠意を以て国税当局の指導を受けその指導に基づいて申告納税した。行政指導に沿って行動した被告人には少なくとも量刑の面でこの事実を十分斟酌願いたい。
添付資料一、劍持メモ
資料二、平成二年一二月二六日付預リ金三〇、四八八、五〇〇円を返還する旨の劍持氏代理人から被告人の新財経研究会宛内容証明郵便
資料三、週間朝日(九四年四月二九日号)「株屋議員は私だけじゃない」記事
資料四、帆足昭夫弁護人作成の「控訴趣意書補充書」
資料五、昭和六三年一月~平成二年一二月までの稲村利幸と関係者の主な日程表(平成六年八月二九日御庁へ提出)
(二)、被告人の妻稲村正子の「嘆願書」。その要旨は次のとおり。
(1) 経済的にも精神的にも苦しい中被告人をささえ、弁護団会議にも夫と共に出来る限り出席した。
(2) 杖とも柱とも頼む劍持税理士の指示どおり、全資料を整え、国税側の指導を受けていた。しかし、劍持税理士が検察捜査の段階で自己の弱点(*)を握られ、以後掌を返すように被告人に不利にしかも事実に反し、検察官に阿のような供述に変った。原審では、この劍持供述を重視し、真実を述べる被告人の供述はことごとく採用されなかった。事案の真相はここにある。
(*)劍持税理士は、相当の時間と労力を使い夫稲村の税務処理の仕事をしてくれ、平成元年七月税理士報酬として三〇四八万余円を稲村側に請求し、これを受領した。しかし、同税理士は平成二年三月一五日迄に右報酬につき所得税の申告をせず、夫が起訴される前日、平成二年一二月二六日右税理士報酬を預り金と称して返却してきた(前記一、添付資料二参照)。これは、検察庁でくりかえしくりかえし劍持税理士のやり方を詰問され、税理士生命に関わる弱みを検察側に握られ、遂に自己の保身のため事実を曲げ検察側におもねる供述を強いられ、平成二年十二月二回に亘る長文供述書が作成された。
(3) 夫稲村は劍持税理士指導のもとに一年数ヶ月に亘り任意に全資料を集め、これを正直に国税側に提供し劍持税理士に納税の申告を交渉して貰い、決められた額を納税した。証拠を隠匿したり工作したりは一切していない。勿論国税側の強制調査を受けていない。稲村は国税側に前面協力して資料を提出したのでそのような必要はなかった。国税当局とその局長経験のベテラン税理士の指導に感謝して率直に従った者に対して、他にどのような対応の方法と道があったか。
このように馬鹿正直にやった者には是非執行猶予もつけていただきたい。
(4) 被告人としては、先祖から受け継いだ大切な家屋敷やすべての財産を処分して納税に努め、現在は全くの素裸で無一文になっている。大変な額の罰金刑の併科は是非共ご勘弁願いたい。
(三) 被告人の平成七年六月七日付「追加上申書」
(1) 山口明志医師の供述について。
(2) 被告人に対する検察庁での取調べと取調べ調書に対する悪影響。
(3) 再度訴える、劍持メモと同人の税理士報酬返還に関する内容証明郵便。
(4) 行政指導に沿って申告した。国務大臣と云う肩書き由に世間を納得させる為に一連の事件の幕引に使われないようにと被告人の悲痛な叫びと願い。
第五、被告人及びその妻からのお願い。
被告人側としては、「何時頃御庁の判決が下されるかを知りたいと思っております。凡その時期で結構でございますから、ご内示頂ければ幸いと存じます。」とのことである。
以上。
添付資料
弁護人選任届
一、被告人稲村利幸作成の平成六年七月二〇日付「上申書」及び同添付資料各写 一部
二、被告人妻稲村正子作成の平成六年八月二九日付「嘆願書」写 一部
三、被告人の平成七年六月七日付「追加上申書」 一通